そもそも、自己肯定感って上げる必要ある??自己肯定感の本質 2つの方法とあるキーワード

らしさを探すきっかけ

はじめに:「自己肯定感」ってなんだろう

こんにちは、メディア部のたくとです。みなさんは「自己肯定感」ということ言葉を聴いたことがありますか??

自己肯定感の意味は、文字通り「自分を肯定すること」で、メンタルが不安定だったり(今風にゆうと病んでる)生きづらさを感じている人に必要なものとして言及されます。最近テレビやSNSなどでもこの自己肯定感という言葉を耳にすることが増えてきたんじゃないかなと感じます。

僕は高校ぐらいの時まで自己肯定感はかなり低い方で、自分に自信や信頼がなくてすごく人の眼が気になってびくびくしてたし、その反面(というかだからこそ)無駄にプライドが高くなっちゃったりしてそれが苦しい時期がありました。

それで、この自己肯定感をあげるために、というか自分がなんで苦しいのか知るために「自信」とか「自分の欠点」とかを調べてた時期がありました。

で、その中で、「自己肯定感あげよう」とか「自分を好きになろう!」「ポジティブシンキング!」みたいなことが言われてるメディアを目にすることがいっぱいことがあって、僕はそんな言葉を聞くたびなぜか違和感を覚えていました。今でもそうです。

そこで、今回のメディア部のかきとめ。は、そんな違和感の正体をさぐり、もっと掘り下げて、自己肯定感の本質的なものを考察していきたいと思います。

自己肯定感=イイモノじゃない。必要なのは「自己受容」じゃないのか

確かに、自分を好きになれたら自分を肯定できたら自分を責めなくて済むし、メンタル的にもよさそうです。

しかし、だからといって
自己肯定感低い→自己肯定感高めよう!自分好きになろう!ってなるのは何か違う気がしてしまいます。

ではここで、

自分を肯定することって本当にいいことなのか
自分を好きになれないとだめなのか

という質問について一緒に考えてみましょう。

どうでしょう。たしかに、自分を肯定できれば、精神衛生的にいいことは間違いないでしょう。心の余裕ができ、メンタルが安定することで日常が生きやすくなると思います。

しかし、僕は必ずしも「自己肯定的」な状態を目指す必要、自分を好きでいようとする必要は全くないのではないかと思います。

実際にいざ自分の嫌いな部分(例えば気にしすぎ)を急に好きになろうとしたって、
それができない人は僕を含め確実に存在します。生活する中で、自分の嫌な部分が出た時はどうしても苦しかったり腹立ったりするし、急に「好きになろう」なんていわれても難しいものがあります。自分が嫌いっていう状態は本当につらいです。どこに行っても「自分」が自分を許してくれないし、ずっと追いかけてくるような、首を絞めているような気がする。

なにより、自己肯定的な状態をよいもの、正義と考えることには大きな問題があると思います。

というのも、自分を好きになれない期間、時は誰しも必ず来るし(しかも定期的に)、その時にいちいち「あ、自分を嫌いになっている、好きにならなきゃ!」と思うと余計心労が祟りそうです、本末転倒、というかジレンマですね(悩み自体が問題なのではなく悩んでいる自分に悩んでいることが危ないってやつです)。僕が感じていた違和感はこれだったのです。


これらを考えたうえで、自己肯定感が低い人がで少しでも生きづらさを和らげたいのなら、作業として一番大切なのは、自分の嫌いなところを「赦す」ことなんじゃないかなと思います。

これは自己を「受け入れる」ことにも等しくて、心理学では自己受容(セルフアクセプタンス)なんて呼ばれてたりします。(具体的な療法が知りたい方は「セルフコンパッション」と検索してみてください)

多くのサイトなどではこの自己受容はあくまで「自己肯定感を挙げるための方法」の一つとしてサラッと紹介されています。

自己肯定感を上げるための方法1.自分を許容すること・ネガティブを受け入れること みたいな感じで。自己受容について、(自己受容、と検索しない限り)深く掘り下げているサイトはあまり見たことが無いような気がします。

自己肯定感が低い人にとって「いや、自分を受け入れることって、それができれば苦労しないわ!」って感じですよね、笑。

これってやっぱり自己肯定がゴールとされていることの裏返しだと思うし、自己受容はそのための道具くらいの位置づけに感じられる。

僕はこの考えに反対で、


自己受容こそが自己否定感を和らげる、また精神衛生を保つうえで一番大事・本質的になってくるもので、ゴールはどちらかというと自己肯定感より自己受容に設定するべきなのではないか 

                                           と思うんです。

さて、ここまでで、「まずは自己受容のやり方を考えるべき」 という視点をご紹介しました。では、実際に自己受容ってどうやってやるのか、その具体的な方法を、心理学的な視点から、テストサンプルとして僕の経験を踏まえつつお話していきたいと思います。

本質:自分と心理的に距離を置くこと、自分を知ること

さて、自己受容なんて言いましたが、具体的に何すりゃいいの?って話で 、ここでは具体的な方法に移る前に、自己肯定感ひいては自己受容の本質的なものについてお話していきたいと思います。

結論から言うと、「自己否定感が強い人がメンタルヘルスを保つ、生きやすくなる」という目的から自己肯定感や自己受容を考える上で、根本的に必要だと考えるのが

自分・自分という存在から心理的距離を置くこと  です。

例えば、デキルにもかかわらず、自己肯定感が超低いAさんを考えてみましょう。Aさんは自分が役立たずだ、まだまだだと思って自分を責めてしまっているとします。でも、役立たずだと考えているのは「Aさん(自分)」の視点であり感情であって、それは実際の事実(客観的視点)とは異なっています。(このケースは完璧主義な人に多いです。)
Aさんは自分の考え・感情=自分となってしまっていて、心理的にかなり自分と近く、客観的に自分を見れていない状態です(この話はメタ認知と深くかかわってきますが、その話はまた別のところで)。

そして、ふわっとしてますが、僕が自分と心理的な距離を置くための第一歩となるアプローチだと考えているのが「自分を知ること」です。これについてはいろいろ方法はあると思うんですが、ここで言いたいのは

「自分の感情に支配されていない、客観化された自分の姿」を知るということです。

といわれてもわけわかんないと思うので、次の章からはそのための具体的的な方法を提示していきたいと思います。

「自己受容」のために:データから見て自分を相対化

画像1

さて、自分と距離を置くことが大事で、そのためにはバイアスのかかっていない本当の自分の姿を知ることが重要 とお話ししました。では具体的にどうするのか、どうしたら距離が置けるのか、ここら辺はセルフコンパッションの本とか、Dラボからの知識をベースに、僕のやってきた方法で語ります(Dラボ炎上の件もどっかで書きたい)。

僕は、自分と心理的距離を置くため、
「中立的である知識やデータにふれ、自分を照らし合わせる」ことが必要だと考えてます。すると自分が相対化されて、まずは「距離を置いて見つめる」ことができるんじゃないかと。例えば、一番シンプルなのは自分の嫌なところが気にしすぎだとして、「気にしすぎ 日本人 データ」などを調べてみる。すると自分の認識が実際のデータと大きくずれていることに気づいたり、気にしすぎの中でもその引っかかりどころ(例えばどんな時に自分が気にしすぎだと感じるかなど)の多様さを発見して自分の特異性/凡庸性に気付いたりすることがあるかもしれません。心理テストなんかはこの応用的なものだと考えます。

注意すべきは、「データではなく、実在する特定の人や特に自分と近しい人と比べてはいけない」ということです。心理的距離が近すぎるからです。僕が実際やったのは心理学の本とかを読んで「自分がどういう性格に分類されるのか」という視点で、自分を分析対象にしてました。
こうすることで自分のことをどこか「他人事」として捉えられるようになったと思います。

あとは、「なりきりアドバイス法」みたいなのもあります。

これはいたって簡単で、今の自分の悩みや自己否定してしまう部分を「友達が悩んでいること」と仮定してアドヴァイスを考えてみる という方法。この方法のミソは本当に自分の友達(友達じゃなくても、知り合いでも何でもいいです)が悩んでいるとイメージしてアドヴァイスを考えてみることです。

研究では、「人間は他人のことには理性的で比較的合理的なアドバイスができるのに自分のこととなると途端にそれが難しくなる」という報告もあるそうで、これはそれを応用したものです。

悩みを紙に書きだし、それについてのアドバイスを書いてみるとより効果的です。

「自己受容」のために:一般化

自分の短所や嫌いな部分を「一般化」することも自己受容につながります。

どういうことかっていうと、「自分が特別にダメなわけじゃない、みんなそんなもん」っていうマインドを身に着けるってことです。

実際、あなたが悩んでいることはみんなが悩んでいることだったりするし、あなたが気にしていることは、実はすごく平凡なことで、誰も気にしないことかもしれない(実際、自分が気にしている半分くらいしか周囲は気にしてないという報告もあったはずです)。おすすめなのは、ミスしても、自分の許せない部分が暴れだしても、
「こういうこともあるよね、人間だし」と語尾につけたしてつぶやくことです(これが案外できない)。

バカみたいと思われるかもしれませんが、これけっこうおすすめです。もちろん、習慣づけないと効果は薄いです。反復作用によってだんだん自分のマインドセットが変わっていくはずです。

また、特に(今若い人に増えている)完璧主義で悩んでる人の場合は、

自分の敷居(ハードル)をさげる

ことが根本的な課題だったりするので、「自分は案外平凡だ」っていう視点で自分を一般化してみるのも効果あるかなと思います。完璧主義にもいろんなタイプがあるそうで、ここら辺はまたどこかで書きたいです。

まとめ 「自分と距離を置く」ためのキーワード

今回の記事をまとめると、

まとめ:自己肯定感の本質とアプローチ

・自己肯定感は無理にあげようとしなくていい

・自己否定を和らげ、ラクになるためには本質的には自己肯定より自己受容のほうが大事

・そのためには「自分と心理的距離をとること」が最初で最大の目標。相対化や一般化を試してみて。

こんな感じです。

そして、それらを日本語の言葉で一言にまとめたキーワードが

しょうがないなぁ」です。


自分のことを「もうしょうがないなぁ」と思えるマインドが大切。ということです。あなたが他人のダメなところにどこかかわいげを感じることがあるように、あなた自身に対してもその視点で見てあげる。

これができればすくなくとも「自己否定感」は低くなり、生きづらさを和らげることができるのではないでしょうか。

おわりに

いかがでしょうか。今回はだいぶhow toっぽくなってなんかむず痒いですね笑。今回はあくまで「自己肯定感を高める・自分を好きになる」ことに違和感を持つ、もしくはいきなりはなれないよという方へのコラム的なもので、そのこと自体を否定するものではありません。悪しからず。
結局ここでいいたかったのは、
肯定できてもできなくてもそれでいい、自己肯定「できない」ことで苦しまないで!生きてるだけで素敵!ってことです。少し気持ち悪いですかね?笑。

今回の裏話

今回のお話はここ一年間ぐらいずっと僕の頭にあったもので、最近宇多田ヒカルさんの「PINK BLOOD」を聴いて、改めて自己肯定感ってなんやねんと思い書こうと思いました。

これ聴いたときめちゃめちゃ共感しちゃって、鬼のようにリピートしてました。「聲の形」の大今さんが手がけた「不滅のあなたへ」(これもいい作品)というアニメの主題歌です。
すんごいパワーのある曲だと思いますので、ぜひチェックです

あとは、僕が大好きな作家さんの西加奈子さんのラジオにも影響されてます。

西さん、小説と話してる時で全然雰囲気違って、とても魅力的です。

ではでは今日はこの辺で。この記事があなたの「自分らしさ」の一助になれば幸いです。
                               メディア部 たくと

コメント