うまくいかない、いろんなことに疲れたときは。「いつも何度でも」歌詞より、ゼロのになるからだの話

らしさを探すきっかけ
出典:https://note.com/lazy_planet/ 

サムネ出典:https://note.com/lazy_planet/

色んな事に疲れちゃったあなた

みなさんこんにちは。生きていると、順調な時もあるけどなかなかうまくいかない時期って必ず訪れますよね。人間関係や恋愛だったり、家庭だったり、入試や就活だったりと、いろんなことがあって僕らの人生ってホント忙しい。

うまくいってないのが一つくらいで、何とかなってるならいいけど、それが他のことにもつながったりして一気に押し寄せてくると最悪で、ホントにくたびれて、疲れ果ててしまいますよね。

このコロナ禍でいっそう制限やストレスが増えている今日では、逆に「今は全然元気!!」という人のほうが少ないのではないのでしょうか。

そこで今回は、そんな「いろんなことに疲れちゃったとき」に安らげるような、さらにこれからどう生きていくかのヒントになるかもしれないお話、考え方を紹介していきたいと思います。

まずはこの記事を読んで、ホッと一息ついてもらえば幸いです。

今日のテーマ:ゼロになる瞬間

ちょっとスピリチュアル臭強めかも、笑。

突然ですがみなさん、自分、もっと言うと自分の体が「ゼロ」になったなって経験したことはありませんか?

何言ってんだこいつ

って思われたと思うんですけど、言い方を変えれば、

「自分のオリジンに立ち還った瞬間」
「自分の人生を全体として俯瞰した瞬間」

                             ですかね。

みなさんも一回はそういう経験をされたことがあるのではないでしょうか。
実はこれって、何かに疲れ果てている時、すごく自分を救ってくれるもの立ったりします。

ということで今日のメディア部のかきとめ。はそんな「ゼロになる瞬間」について話していきます。
       メディア部のかきとめ。って??

僕が「ゼロ」になった瞬間

と、いってもいまいちピンとこないと思うので、僕の「ゼロになった」経験からお話していきますね。

僕の場合これは、おばあちゃんの死に触れた時でした。

僕は、幼少期をほぼ親戚に育ててもらていて、その親戚のおばあちゃんには親のようにホントに小さいころからお世話になってて、自分の原点的なものはその頃の暮らしにありました。

そんなおばあちゃんが、僕が大学1年の時に亡くなりました。

その時のお通夜では、親戚が勢ぞろいして、いろんな話を聞きました。僕が生まれた当時の話(そうとういざこざがあったらしい、笑)とか、とにかくいろいろ。

なかでも特に印象深かったのが、、僕が生まれる前の話(みんなの様子)でした。親戚の姉ちゃんのかつてのガチガチのヤンキーエピソードだったり、家系図的なものとか、僕がお世話になっている親戚一家の思春期時代のエピソードまで…。

そうしていくうち、自分が生まれる前の世界、これからの自分や、親,周りの将来と人生なんかが想像されて、なぜか急に、大きい時間の流れがあって、自分がそのすごく小さな一地点にいるような感覚に襲われました。
それと同時に、自分の人生全体を俯瞰してしまいました(なんか自分の人生が縦に伸びる一本の軸で、それを正面から見てるみたいな、笑)。

こんな感じの感覚、生と死を同時にみるような、自分の原点を見つめるような感覚がすごく「ゼロ」に近いと感じ、僕はこれを「ゼロになる瞬間」と呼んでいます。

いかがでしょうか、すこしニュアンスが伝わったでしょうか。

そして、これは余談なのですが、ルビーインの代表:千手さんも仰ってたことなんですけど、身内に限らず、誰かの死に触れる瞬間って少なからず何かしらの変化が自分にあるんじゃないかって話されてて

それが僕の場合おばあちゃんで、僕は「ゼロ」を感じたわけです。

死がゼロと近いイメージ、っていうのはわかっていただけるのではないでしょうか。

「ゼロ」の意識・感覚に立ち還ると、なんか少しラクになる

で、結局その「ゼロ」が何なの、って思われると思うんですけど、

正直、あれが僕になにをあたえてくれたのか、とかははっきりとはわかりません。

けれど、はっきり言えるのは

「自分が持ってる時間がすごく限られてること」
「自分ってのは案外たくさんのものを与えられて/たくさんの人に支えられて生きてきたんだなってこと」を強く感じました。

と同時に、

なぜかしんどいときでも自分の「ゼロ」状態の感覚、体験を思い出すと自然と心が静まる

                           ようになりました。

なぜですかね…超絶俯瞰とか自己解脱みたいなかんじなんですかね??

言い換えると、今自分を取り巻いているいろーんな「疲れる」「しんどい」ことから解放されて、どこか遠くに、違う次元にいるような感覚になれる/立ち還れるようになって、その瞬間はすごく心が安らぐようになったんです。

と、同時に、すごい広い視野を持って、

「これから自分がどうしたいのか」
「限られている中時間と選択肢の中で、できることは何なのか」とかがなんとなーく見えてくる/そのヒントが浮かんでくるようになりました。 この辺は次回のお話にもつながります。

自分の生き方が分からないなら、「与えられてきたもの」を考えよう。
スキ11Rubyin | シアワセノート2021年10月3日 18:35 「生きる意味」って    生きてると不意に「自...

     

どうでしょうか。もしあなたがいろんなことに疲れてて、もうヤダ、辞めたい、いろいろ放り出したいと感じてるなら、この「ゼロになる瞬間」を探してみてもいいかもしれません。(手っ取り早く経験したい方は次章へ)

このままあんまりテキトーな文ばっか書いてると流石に怒られそうなので、今日はこの辺で、笑。

みなさんが「ゼロ」になった経験があれば、ぜひお聞かせください。

今回の裏話

タイトルで気付いた方もいるかもしれないのですが、今回の話は完全に千と千尋の神隠しの主題歌「いつも何度でも」から着想しました。

実はこの歌僕の中で日本語の美しさランキングぶっちぎりの一位なんですよね。ぜひ一度歌詞だけをじっくり見てみてほしいです。

”はじまりの時のしずかな窓、ゼロになるからだみたされてゆけ”

って、えぐくないですか。

もし共感してくれる方はこちらものぞいてみてください

      「いつも何度でも」作詞者 覚和歌子さんの詩集・短編集

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                                                                               出典:Amazon

うまく言えないんですけど、この曲聴いてると、(さっきもいいましたが)生産性とか、コンプレックスとか、すんごい色んな事から解放されて、どこかずーっと遠くにいる気してくるんですよね。

個人的にはこれ聴くだけで「ゼロ体験」できるんじゃないかとか思ってます。

今回はほわほわしすぎましたね、でも僕の感受性→自分らしさということでご容赦を。

                       メディア部 たくと

お知らせ:いろんなことというか、就活につかれた方へ

今回のお話ではちょっと特殊な「ゼロ」の感覚についてお話してきました。で、本文の中で「ゼロ」が疲れてるあなたを救うかもしれないとかなんとか抜かしたわけですが、その中でも特に

就活に疲れた!! 自分偽って、企業の求める像に無理やり自分を削って・・・もーうんざり!

という方にちょびっとお伝えしたいことがあります(あ、怪しくはないです笑。)

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僕が今インターンをさせてもらってる、ルビーイン株式会社では、「自分らしさ」を追求した「逆就活」イベント、【ウェルハンティング】(well-being job hunting)を無料で実施しています。

ルビーインがマッチングした企業に自分を売り出していくイベントで、不安な方でもメンター(担当)さんが通いてくれて、めちゃくちゃ熱心に相談に乗ってくれます(自己分析的なことも)。

興味のある方、この記事を読んでいいなって思ってくれた方はぜひチェックしてみてください!

        ウェルハンティングって?

コメント

  1. […] さて、こんな記事を書いている僕もつい最近(一、二年前)までは、「自分は自分の努力でここまで来た。」とか「だれかに何か与えても時間の無駄」とか思ってました。自身の生い立ちに加え、生産性/合理性中毒者だったこともあり、どこかこの世界を「一人」で生きている感覚があったように思います。でも、大学に進学し、一人暮らしを始めた矢先にこのコロナ禍の世界に突入しました。大学の友達もまだいないですから、それはそれは孤独だったし(割と平気な方だと思ってたのですが)かなりこたえました。「朝が来てほしくない」と思ったし、天井見上げてたら無意識に涙出てるときとかもありました、笑。そんななか、前回のお話でも触れましたが、おばあちゃんが亡くなり、突如はるばる香川県まで帰省することになりました。                            前回のお話 「ゼロになるからだ」 […]